共感に対するミラーニューロン視点からの考察

 共感(empathy)という用語は、統一した定義が得られないまま使われてきた気がするが、一般には2つの定義に大別されてきた(山岸, 2000)。一つ目は「相手の感情を理解すること」を共感とする認知面を重視した定義と、2つ目は「相手の感情を自分も同じように感じること」を共感とする感情面を重視した定義である。近年は、認知と感情の両側面を包括する定義が優勢になってきている。そこで、ここでは共感を「他者の感情の理解を含めて、他者の感情を共有すること」(澤田,1998)と定義していく。共感は基本的にどのような構造なのか、また意識によって成り立つものなのか、共感が行動を起こすために必要な要因があるのか考察する。講義の中では、共感という概念を「他者心の自己経験」として見る方法そしてミラーニューロンから見る方法が紹介されていた。本レポートではミラーニューロンを軸にした、プリミティヴな状態から共感を探りたい。

 ミラーニューロンを最初に発見した科学者はジアコモ・リザロッティ(1937-)で、1990年代のはじめに発見されたと考えられている。1990年代までは、神経科学のミラーニューロン研究は今と大きく異なるベクトルを取っていたため、リザロッティの研究は特異的なものであった。リザロッティと同じチームで研究していたヴィットーリオの研究では、サルが自分でつかむ行為を行わずとも他のサルがつかむ行為を見るだけで脳につなげた電極が反応を起こすという事例が紹介された。このことから当時の1対1対応論から、ミラーニューロンへと定説が変わることになる。ミラーニューロンを使った事例は他にも存在し、キーザーズの研究では、感情、体性感覚にもミラーニューロン並びにミラーニューロンシステムが発見された。それぞれ、運動前野は他者動作を見る際に、島皮質は他者表情を見る際に、体性野感覚は他者が物を触っているのを見る際に、それぞれ自分が行っているかのような反応を起こすのである。キーザーズはこれをシェアード・サーキットと呼んで、共通性のある感覚として考察をしている。この事例では、見るという行為を行う際に、自他の区別が付いていない状態での反応が起きているのではないだろうか。普段我々が動作をする際には、自分が行ったのか他者が行ったのかという棲み分けを考えることが多いが、その前提を一旦隅において考えると、全て自己の経験として捉えることができている。もちろん、相手がやった経験と私がその行為を見たという経験は同一ではないが、「相手が行った経験」というのを統覚しているのは私であり、その意味で私の経験として相手の経験の一部は内包される。つまり、ここからわかる共感とは「相手の行為を自身の経験として、自身の脳の一部が対応している」ということではないだろうか。定義から行けば第1義的な範囲にとどまるだろう。そこには相手への働きかけはは含まれない、あくまでプリミティヴな状態である。このシェアード・サーキットをより具体化して見てみる。まず、他者行動を見る際に、他者の意図や行動理由、目的を予測して脳内で模倣を行う。同時に、行動によっておこる感情を自己でも模倣し、他者の心境を理解する。また、体性感覚によって感覚を共有する。この行為は全て、「自身が動作を行う際に作動する脳領域」で動作している点に着目したい。他者行動への共感が無意識下で動作し、脳内反応では自他未分になっていることがここからわかる。つまり、最初に定義した「共感」は、ミラーニューロンシステムによって証明されてきているのである。キーザーズらの研究では、「共感の強さとミラーニューロンの強さに関する相関」が実証され、視覚を使った共感が弱い人ほどミラーニューロンの活性化は少ないと証明された。この科学的事実を基に考察を進めたい。

 フッサールは、他者経験と相互主観性の問題について考察を行っていてその知見も踏まえて考察を行う。まず、フッサールは感情移入のことを「自分を投げ入れる」と表現していて、

 これはミラーニューロンにおける反応と一致する。客観作用としての、「質的変容」や「類似判断」も感情移入と示していることから自他区別のつかない反応があることを示している。共感を行う際、先に示されたミラーニューロンシステムと同時に、自己が他者の経験領域に入り込み、シンクロしている。そこに、他者からの「誰かが自分と経験を共有している」という認知は必ずしも必要ではない。どちらか一方が共感を起こすことによって、それは成り立つ。また、複数の人間が同一の共感を覚える場合、それは規範へと変わる。共感するこころの働きによっても社会の規範は形成されていくのではないだろうか。ここにおいては、未だ共感をもたらす要素が見えていない。ミラーニューロンシステムが示したのは、共感が起こった際の脳内反応であり、それは要素とは言い切れない。

 仮説として、「共感」が自己に発生しないとする。その場合、他者行動を見た際に「この人が次何をしたいか」や「この人は何がいいたいのだろう」という予測が成り立たないと考えられる。つまり、講義でも紹介された「予測」が大きなヒントをもたらしているのではないだろうか。他者という行為体が、次の動作を行うことを自己が予測できない場合、予測と刺激の不一致が連続して、意識経験として負のフィードバックが続く。経験から生まれる意識は経験が少ない分未発達で、他者に対する働きかけはより稚拙になると考えられる。この過程が成り立つ場合、意識が働く方向は常に自己の行動のみとなり、社会的な行動をとる(群れを成したり、共同で作業をする)ことは極端に難化する。

 上記の仮定から、より生産的な判断を行うためのツールとして共感は存在するのではないだろうか。詳細に言うと、生産的に判断するというのは「自己、他者の動きから感情を予測して次の行動予測と事実との一致を行う」ことである。統合された情報が意識として捉えられるのであれば、統合は「予測と事実の一致」が整合的である場合であり、意識される部分は結果的に共感できる部分になるのではないだろうか。つまり、無意識よりもよりステップが遅い、「自らの知覚を自己で認知する意識」によって捕獲可能なのは共感によって感じられる経験であるとも言えるのではないだろうか。ただ、意識される部分は必ずしも一致が起きている部分だけではない。一致していない部分も、不一致であることを意識できるためだ。しかし「不一致であることを脳内で一致させている」のであればそれも一致した情報なのではないだろうか。上で述べた共感を引き起こす一つの要因を簡潔に述べると、「予測を補助するため」とまとめられる。自他未分のステートで他者の行動から経験を獲得し、自己の経験として共感で得た感情を予測へと応用する。このフローによって我々は生活し、社会を形成しているのではないだろうか。

 本レポートにおいて、考察に入る前の「共感」は定義として「他者の行動を理解、他者感情の共有すること」であったが、考察によって「共感」の意味する内容は変わっていった。ミラーニューロンシステムの研究、フッサールの純粋意識、西田の純粋経験、マーク・チャンギージーの錯視を使った神経理論、キーザーズのシェアード・サーキット理論、ジュリオ・トニーニの統合情報理論などを基に、より整合性のある判断を繰り返すための補助としての「共感」が推測された。他者という区別はなく、自他未分の領域で発生する仕組みとしてより研究が進んでいくであろう。今後は、この「共感」というシステムに対して「音楽心理学」のアプローチを用いて研究を進めてみたい。以上で本レポートを終了とする。

 

 

参考文献

Keysers, Christian & Fadiga, Luciano, The mirror neuron system: New frontiers. Social neuroscience. 3. 193-8, 2008

石田三千雄, フッサール現象学における感情移入の問題, 徳島大学総合科学部人間社会文化研究, Vol.8, 1-17, 2001年

澤田瑞也,「カウンセリングと共感」世界思想社, 1998年

ジュリオ・トノーニ, 意識はいつ生まれるのか, 亜紀書房, 2015

立木教夫, 『心-脳研究とモーラルサイエンス』, 麗澤大学出版会, 2018

八重樫徹, 「共感の現象学」序説, 『行為論研究』第 3 号 行為論研究会, 2013 年

山岸由佳, 「共感性の発達とその意義」, 東京学芸大学, 43

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